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ジェンダーについて

更新日:3月15日

ニュースやネットでも見る事の多くなったこの文字。金沢でも、ジェンダーフリーやLGBTQのデモ行進を見かけるなど、このことについて考えるきっかけが増えています。



私は展示会会場で



「作品をみていて、男性作家さんが作ったのだと思いました。」

とびっくりされることが多くあります。




昔は美術作品の多くが男性作家作であったからなのでしょうか。

ガザガサした質感の、大きなガラス作品に男性的な何かを感じたのでしょうか。






反して、ラインを意識した花器や小さな器などは



「女性ならではのラインですね。」

「女性らしさを感じます。」



と声をかけてもらいます。







こういったイメージも、男性はこうである。女性はこうである。という決めつけから生まれているのでしょうか。はたまた生物学的な男女のイメージから生まれているものなのでしょうか。



男性らしく力強いとか女性らしく繊細、といった言葉も、今後はしっくりこなくなるくらい、男女のイメージは変わっていくのかもしれないなぁと思ったりします。




私は

男性的な作品といわれても、女性的な作品だと言われても、とくには嬉しいとも悲しいとも、何も感じないでいます。

私から生まれた形が、受け取り側のどこかに位置された

というだけですから。




ジェンダーに関しては、私の世代、親の世代、祖父母の世代でかなり考えや価値観が違うように思います。なので、その変化の世代にいた私もジェンダーという言葉にはいろいろと思うことがあります。



子どものころ、勉強をすることが苦ではなく、どちらかというとガリ勉をするようなタイプでしたが、祖父母には



女は勉強なんかしなくてもいい。家事をやりなさい。



ということを多々言われたことを覚えています。



それを言われるのがものすごく嫌で。


男なら頑張ることを応援してもらえたのか…?


地元飛騨にはいるものか

(田舎だからこう言われると思っていた)


たくさん勉強してここを出よう。


と、一層がんばったように思います。



祖父母の言葉には、おそらく昔はあったであろう拘束力もなく、女であろうと、勉強を頑張らせてもらい、大学進学も支援してもらい、やりたいように進んできましたが、



もしかしたら。

私が女でなければ、または親世代だったら話は別であったかもしれません。



祖母は学校へ行っていなかったのか、文字を書く事が出来ませんでした。

(そのことは覚えていませんが、実家の柱には左右が逆さまになったひらがなが柱の高い位置に書いてあったりしています)




祖母は祖父とお見合い結婚でした。


家をつぐ事。家の都合で結婚する事。家の為に進路や未来が決まること。

これらがごく当たり前で、絶対的であったのが、ほんの少し前の話。

個人の意思、価値観など一体何処へやら。まして尊重するなんて。


私が大人になり、祖母が亡くなり、祖父と二人でお酒を飲むことが増えたとき。


「昔、好きな子がいたんやけどなぁ。結婚したかったけど、できずに、ばぁちゃんと結婚したんやぞ。」

と教えてくれることがありました。


同性婚が日本では認められておらず、悲しい思いをするカップルがいる現代ですが、昔は異性同性関係なく、みんな思い思いのパートナーと一緒になれないという。

なんという時代なんでしょう。



晩年仲良く二人で旅行へいくことの多かった祖父母ですが、きっと結婚するときは、葛藤や苦しさを抱えていたんだろうなぁと思います。




戦時中で、個人の価値観で動くことなど、考えられない時代だったのかもしれません。

生き死にすら、指示で決められるような時代ですから。



時代は変わって、尊重し合い、自由に生きることができることを、出来る事が増えていることを、とても有り難く思います。それがまだ難しい国も、人達も、なんとか一歩一歩でも、自由の方向へ向くことを切に願います。




夫はとても家庭的です。

料理は苦手なようですが、子どものお世話は夫がほとんど行っていて、


「お母さんは子どもの事何にも考えてないもんなー。」とか(そんな事はない…)


「予防接種もうすぐだよっ!忘れてない!?」

なんて言われてしまうこともしばしば(汗)


「俺もおっぱいがでたらいいのに」とも。



仕事にいくより子どもといたいというタイプで、子どもが産まれてから、より家に居られるよう転職をしました。


子どもも、お母さんロスよりお父さんロスで泣きます。


私は自営業なので育休はありませんし、夫の会社は男性の育休がとれない会社ですが、子どもを育てるのは女性の仕事…という考えや価値観が社会的にもなくなると、もっと夫のような人は生き生きと生きられるのだろうと思います。


私はパートナーが夫だからこそ、子どもを持ちながらも仕事ができ、生き生きと生きられています。



私の授かった子ども二人は、女の子と男の子ですが、名前の響きはどちらもユニセックスな響きの名前です。

また女の子の名前には「鳳」(鳳凰の雄の意)の文字を、男の子の名前には「麟」(麒麟の雌の意)の文字を入れています。



男らしい女の子を望んだわけでも、女らしい男の子を望んだわけでもありませんし、それぞれの性別に否定的なわけでもありません。



どちらをどちらに使ってもとても自由でいいんじゃないかしら?



こんな考えのもと、名前を決めているので、丁度変化するこの時代にはいいのではないかと思っています。


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今回は作品とは関係なく、子どもと接していて感じたことです。 今となっては「泣く」という行為を1日の内に何回もすることはなくなりましたが、小さい頃を思い出すと、色んな理由でよく泣いていたなぁと思います。 できなくて悔しくて泣く 怒られて泣く 思い通りいかなくて泣く この辺りが多かったように思います。不満が多かったなぁ…なんても思ってしまいますが、一歳になる娘をみていると、ほんとに良く泣きます。 頭を